札幌地方裁判所 昭和32年(ワ)829号 判決 1960年3月28日
原告(反訴被告) 中央信用金庫
被告(反訴原告) 国
訴訟代理人 宇佐美初男 外三名
主文
原被告間に、訴外陳節子の、原告(反訴被告)に対する、訴外朝沼陽一、および陳朝陽名義による、別紙目録(一)記載の各預金債権が存在しないことを確認する。
反訴原告(本訴被告)の請求を棄却する。
訴訟費用は、本訴反訴を通じて、被告(反訴原告)の負担とする。
事実
第一、本訴における当事者双方の求めた裁判
原告は「主文第一項と同旨および訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。
第二、反訴における当事者双方の求めた裁判
反訴原告は「反訴被告は、反訴原告に対し、金七八三、三五九円およびその内金七六五、〇〇〇円に対する昭和三二年八月六日以降完済まで、年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は反訴被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、反訴被告は「主文第二項と同旨および訴訟費用は反訴原告の負担とする。」との判決を求めた。
第三、本訴ならびに反訴における原告(反訴被告、以下単に原告という。)の主張
一、原告は、中小企業等協同組合法にもとづき、同法第九条の八第一項所定の事業を行う法人であるが、訴外朝沼陽一こと陳朝陽は、原告に対し、昭和三二年八月五日現在で、別紙目録(一)記載の如き各預金および約定利息の払戻請求権(以下単に本件預金債権という)を有していた。
二、ところが、被告(反訴原告、以下単に被告という。)の機関である札幌国税局長は、右同日、右訴外人の妻陳節子が、北海飲料水工場という商号のもとに清涼飲料水の製造を行つて、その事業により同日現在被告に対し滞納していた次の如き税金すなわち、昭和二四年度から同三一年度までの物品税一二、〇三四、五六九円、同二七・二八年度源泉所得税一〇、八〇〇円、同二七・二九・三〇・一三年度申告所得税四四、一九〇円、合計金一二、〇八九、五五九円を徴収するため、国税徴収法第二三条の一にもとづき、前記本件預金債権を右陳節子の債権であるとして差押え、同日その旨原告に対し通知した。
三、しかしながら、本件預金債権は、前記の如く陳朝陽の債権であつて、陳節子の債権ではない。
かりに、右主張が理由なく、本件預金債権が真実は陳節子の債権であるとしても、次の如き理由によつて、被告は原告に対し、右事実をもつて対抗し得ない。すなわち、そもそも、本件預金が前記の如く朝沼陽一または陳朝陽名義でもつて原告に対し預託されたのは、右陳節子が陳朝陽に対し本件預金を信託的に譲渡したか、または、両者が通謀して、本件預金を陳節子から陳朝陽に譲渡した旨虚偽の意思表示をなした結果によるものである。ところが原告は、右信託譲渡または虚偽表示を信頼して、陳朝陽に対し被告の前記差押まで、本件預金債権を担保として別紙目録(二)記載の如き貸付を行つてきた。ところで、前記預金の名義仮託が信託譲渡であるならば、受託者である陳朝陽は外部的には本件預金の権利者となり、有効にこれを処分し得ること当然で、被告が、いまさら、これを否認したり、本件預金の権利者が陳節子である等主張し得ないこというまでもない。また、右名義仮託が虚偽表示の場合であるなら、原告は前記貸付をなす際に、陳朝陽が真実の本件預金債権者でないことを知らなかつたから、善意の第三者であつて、被告から右虚偽表示の無効をもつて対抗されるいわれはない。したがつて、いずれにしても、本件では、被告が原告に本件預金の権利者が陳節子である旨を主張できる余地はない。
四、かりに右主張が理由なく、被告は原告に、本件預金の権利者が陳節子である旨を主張できるものとしても、次の如き理由によつて、右陳節子の本件預金債権は現在全く存在しない。すなわち、原告は、前記の如く、被告の本件差押当時、陳朝陽に対し別紙目録(二)記載の如き、貸金債権(以下単に本件貸金債権という。)を有していたが、元来原告の右貸付は、名義はともかく、本件預金の権利者に対し行われたものであるから、本件預金の権利者が前記の如く陳節子であるとするなら、本件貸金債権の債務者もまた右陳節子である。しかるところ、本件貸金債権のうち(ハ)の債権および本件貸金債権を担保する本件預金債権のうち(ロ)を除くその余の債権は、前記被告の差押当時、既に履行期が到来しており、前記以外の本件貸金債権および本件預金債権はいまだ履行期が到来していなかつたが、原告は、右差押後、前に述べた陳朝陽(陳節子)に貸付をなすに際し締結した次の特約、すなわち「原告は、債権保全のためには、原告の右朝陽に対する貸金債権および朝陽の原告に対する預金債権の期限いかんにかゝわらず、いつにても、両者を対等額において相殺できる」約束に基いて、昭和三二年八月二二日、前記朝陽(節子)に対し、本件貸金債権を自働債権として本件預金債権と対等額で相殺する旨の意思表示をなし、同日その旨被告(札幌国税局長)にも通知したところ、右意思表示等は翌二三日それぞれ被告等に到達した。したがつて、本件預金債権は、右相殺により完全に消滅した。かりに、本件預金の権利者と本件貸金の債務者が別人格で、前者が節子・後者が朝陽であるとしても、右節子は朝陽の本件貸金債務につき連帯保証人となつているから、原告は前記の如く本件貸金債権と本件預金債権とを相殺し得ることに変りはない。
五、しかるに被告は、陳節子の本件預金債権の不存在を争い、右債権の存在ありとして原告に対し、前記の如く代位取立をなさんとしている。よつて、原告は、被告に対する関係において、右節子の本件預金債権の不存在の確認を求めるため、本訴におよぶ。
六、被告の本訴における反駁主張事実は否認する。
七(1) 被告の本訴における仮定的主張(1) のうち「本件貸金債権中(ハ)の債権が被告の前記差押当時履行期が到来し、その余の本件貸金債権はすべて履行期未到来であつたこと。」は認める。
しかし、その余はすべて争う。
元来、債権差押は、執行債務者の被差押債権についての権利行使を制限するにとゞまつて、第三債務者は、右差押により、それ以前から有していた抗弁権その他の権利を、右差押債権に対し行使することをなんら妨げられるものではない。国税徴収法による債権差押の場合といえども、右の理は全く同じで、第三債務者は差押前に取得した納税人に対する反対債権をもつて、被差押債権に対し相殺をなし得るものである。したがつて、反対債権の弁済期が、右差押当時、到来しているか否かは全く問題とならないもので、自働債権の弁済期が差押当時未到来であれば、その後弁済期が到来したとき、いつでも自由に相殺ができるものである。
(2) 被告の前記主張(2) のうち「原告が本件相殺をなすに当り手形の交付または呈示を行わなかつたこと。」は認める。しかし、その余はすべて争う。
原告の本件貸金債権は、原告が手形を担保として金銭の貸付を行つたもので、手形は単なる履行確保の手段にすぎない。したがつて、前記相殺をなすためには、手形の交付等を要しないものである。
(3) 被告の前記主張(3) のうち「原告が本件相殺をなすに当り、本件貸金債権中どの債権をもつて、本件預金債権と相殺をなすか明らかにしなかつたこと。」は認める。しかし、その余はすべて争う。
本件の相殺は法定充当(民法第五一二条、第四八九条)の場合である。
したがつて、本件貸金債権は(ハ)(イ)(ロ)(ニ)(ヘ)(ホ)の順に本件預金債権と相殺せられたものである。
(4) 被告の前記主張(4) のうち「原告の本件相殺の意思表示が、被告ではなく、訴外陳節子(陳朝陽)に対しなされたものであること。」は認める。しかし、その余はすべて争う。
元来、債権差押は、単に執行債務者に対し、被差押債権の処分権を制限するだけで、右債権の主体たる地位を喪失させるものではない。
したがつて、被差押債権を受働債権とする相殺の意思表示は、差押後といえども、単に差押にとゞまる限りは必ず執行債務者に対しなすべきもので執行債権者に対しなすべきではない。
(5) 被告の前記主張(5) のうち「本件貸金債権中(ニ)(ホ)(ヘ)の債権がいずれも手形割引債権であること。」は認める。しかし、その余はすべて争う。
原告の右手形割引債権は、その実質は、消費貸借契約上の債権である。なんとなれば、原告は割引依頼人である陳節子(陳朝陽)と、今日の金融機関の手形割引の実情に従い、手形割引の都度、当該割引手形の額面に応じた消費貸借が成立する旨契約をなしているからである、
かりに、右手形割引債権が被告主張の如きもので、前記相殺に供し得ないものであつたとしても、前記の如き相殺充当の順序よりすれば、結局右債権は前記相殺に供されなかつたものであるから、被告の右主張は実益がない。
八、被告の反訴請求原因事実中、原告の本訴における主張事実と一致する部分は認める。しかし、その余は全部これを否認する。
よつて、被告の反訴請求は失当である。
第四、本訴ならびに反訴における被告の主張
一、原告の請求原因事実中「昭和三二年八月五日現在で、訴外朝沼陽一および陳朝陽名義の、原告に対する本件預金債権があつたこと。原告が同年八月二二日被告(札幌国税局長)に対し、原告主張の如き通知をなしたところ、右通知が翌二三日被告に到達したこと。」およびその第二項の事実は認める。しかし、「原告がその主張の如き事業を行う法人であること。および、被告の本件差押当時、原告が訴外陳節子または陳朝陽に対し本件貸金債権を有していたこと。」は知らない。そして、その余の事実はすべて争う。
二、本件預金債権は、前記の如く訴外陳節子の債権である。なんとなれば、右預金は、前記節子が前に述べた清涼飲料水の製造によつて利益を得て、これを便宜、同人の夫である前記朝沼陽一こと陳朝陽の名義でもつて、原告に対し預金したにすぎないもので、これが真実の権利者は前記節子であるからである。
三、かりに、原告が、陳節子または陳朝陽に対し本件貸金債権を有しており、右債権をもつて、原告主張の如く本件預金債権と相殺をなしたとしても、右相殺は次の如き理由によつて法律上無効である。すなわち
(1) 債権差押の場合、被差押債権の債務者(第三債務者)が右債権の債務者(執行債務者)に対し相殺をなし、右相殺をもつて執行債権者に対抗するためには、第三債務者の執行債務者に対する反対債権が単に差押前に取得されたにとゞまらず、反対債権の履行期も差押前に到来していて、相対立する債権が差押前に相殺適状にあることを要するところ、本件においては、前記貸金債権のうち、(ハ)の債権だけが被告の前記差押当時相殺適状にあつたもので、その余の本件貸金債権はすべて履行期末到来であつた。したがつて、右債権をもつて本件預金債権と相殺をなしても法律上無効である。
(2) かりに右主張が理由ないとしても、本件貸金債権は、その実質は、手形債権である。したがつて、右債権をもつて相殺をなすには、手形の交付またはその呈示を要するところ、本件においては、原告はいずれもこれを行わず、単に相殺の意思表示をなしたにすぎない。したがつて、本件貸金(手形)債権をもつて、前記の如く相殺をなしても、法律上無効である。
(3) かりに右主張が理由ないとしても、原告は、前記相殺の意思表示をなすに当り、本件貸金債権のどの債権をもつて本件預金債権と相殺をなすか明らかにしていない。したがつて、自働債権の特定がないから、原告の本件相殺の意思表示は無効である。
(4) かりに右主張が理由ないとしても、原告の本件相殺の意思表示は、被告ではなく、訴外陳節子または陳朝陽に対しなされている。しかしながら、受働債権の差押後は、第三債務者の相殺の意思表示は、執行債務者ではなく、執行債権者に対しなさるべきものである。したがつて、原告の本件相殺の意思表示は、その相手方を誤つているから無効である。
(5) かりに、以上の主張がすべて理由ないとしても、本件貸金債権のうち(ニ)(ホ)(ヘ)の債権は、いずれも手形割引債権である。ところで、手形の割引とは手形自体の売買である。したがつて、手形の割引人は、先ず当該手形の支払義務者に対し支払を求めることを要し、これが支払を拒絶された後でなければ、手形の割引依頼人に対し、手形上の債権や原因関係上の債権を行使し得ないものである。もし、割引人が割引の依頼人に対し、当該手形の満期前でも、手形上の債権や原因関係上の債権のいずれでも行使し得るとなすためには、その旨の特約が当事者間に存することが絶対に必要である。しかるに、本件の割引人である原告とその依頼人である陳節子(陳朝陽)の間においては、かくの如き特約は全くなく、また、原告が前記相殺の意思表示をなす前に、手形の支払義務者に対し手形金の支払を求めたことも全くない。したがつて、本件貸金債権中前記手形割引債権は相殺の用に供し得ないものである。
よつて、原告の本訴請求は失当である。
四、ところで、被告は、前記の如く、昭和三二年八月五日現在で、訴外陳節子に対し合計金一二、〇八九、五五九円の租税債権を有していた。そこで、これを徴収するため、前同日右陳節子の本件預金債権を差押えて、原告に対しその支払を求めたところ、これが支払を拒絶せられた。よつて、被告は原告に対し、本件預金債権七八三、三五九円およびその内金で右預金債権の元本である金七六五、〇〇〇円に対する前記差押の翌日たる同年八月六日以降完済まで、商法所定の年六分の割合による遅延損害金の支払を求めるため、本件反訴におよぶ。
第三、証拠<省略>
理由
第一、本訴請求の当否
一、先ず、証人竹内勝雄同山崎一雄の各証言および弁論の全趣旨を綜合すれば「原告が、中小企業等協同組合法にもとずき、同法第九条の八第一項所定の事業を行う法人であること。」は疑いがなく、また「昭和三二年八月五日現在で、訴外朝沼陽一および陳朝陽名義の、原告に対する本件預金債権があつたこと。」および原告主張の第二項の事実は当事者間に争がない。
二、そこで、本件預金債権の権利の帰属者について判断する。先ず、「前記陳朝陽の妻訴外陳節子が、北海飲料水工場という商号のもとに、清涼飲料水の製造を行つていたこと。」は当事者間に争がない。そして、右事実に証人竹内勝男の証言により成立の真正を認められる甲第三第四号証、同第六号証の一および二、証人酒田光義の証言により成立の真正を認められる乙第一号証(但し、その一部)、証人阿部島康夫の証言により成立の真正を認められる同第三号証(但し、その一部)、成立の真正につき当事者間に争のない同第六ないし第八号証、同第一〇ないし第一七号証、右酒田・阿部島各証言、証人竹内勝男・同陳節子・同陳朝陽・同山崎一雄の各証言の各一部、および弁論の全趣旨を綜合すれば、「右陳節子は、昭和二四年頃から前記清涼飲料、水の製造を行つてきたが、その事業より得る収益を金融機関に預け入れ、またその事業に必要な資金等を金融機関から借受けるに当つては、便宜、夫の陳朝陽(中国名)またはその日本名である朝沼陽一の名義を用い、銀行取引を行つていたので(但し、その理由は明らかではない。)、同三〇年初め頃から原告と右取引をなすについても、右陳朝陽または朝沼陽一の名義を使用し、これらの名義で、前記収益の一部を本件預金として原告に預け入れ、また右預金やその他の不動産を担保として、原告より事業資金の貸付を受けたこと。」が認められる。右認定に反し、「本件領金債権の真実の権利者は陳朝陽である」旨の前掲証人竹内・山崎各証言の各一部および「本件預金債権中陳朝陽名義の預金債権は、陳朝陽自身が、北海飲料水工場の使用人として働いて、毎月同工場の経営者陳節子から得た一万五千円の給料と右朝陽が個人として営業していた清涼飲料水の原料(クエンサン、サッカリン、エッセンス等)の販売収益・年間約一〇万円位とを積立てたもので、陳節子の債権ではない」旨の前掲乙第二第三号証の各一部ならびに証人陳朝陽同陳節子の各証言の各一部は、前掲措信し得る各証拠および弁論の全趣旨と対比してみて、にわかにそのまゝ信用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
してみれば、本件預金債権の真実の権利者は、訴外陳節子であるというべきである。
三、そこで次に、原告の信託譲渡または通謀虚偽表示の主張について判断する。
原告は、先ず「本件預金が、朝沼陽一または陳朝陽名義でもつて、原告に対し預託されたのは、右陳節子が陳朝陽に対し本件預金を信託的に譲渡したか、または、両者が通謀して、本件預金を陳節子から陳朝陽に譲渡した旨虚偽の意思表示をなした結果によるものである。」旨主張する。しかしながら、本件預金が右朝沼陽一または陳朝陽名義でもつて、原告に対し預託されたのは、前敍の如く陳節子が北海飲料水工場の経営による収益を、便宜、夫の日本名または中国名でもつて、原告に対し預金した結果によるものであつて、陳節子が陳朝陽に本件預金(前記収益)を信託的に譲渡したり、または、両者が通謀して、本件預金(前記収益)を陳節子から陳朝陽に譲渡した旨虚偽の意思表示をなした結果によるものではない。(少くとも、これらのことを認むるに足る証拠はない。)してみれば、原告の前記主張は、その前提において既に失当であるから、到底採用の限りでない。
四、ところで、前掲甲第三第四号証、第六号証の一および二、前掲証人竹内・山崎各証言ならびに弁論の全趣旨を綜合すれば「原告は、被告の本件差押当時、本件預金債権を担保として、債務者を陳朝陽名義とする本件貸金債権を有していたこと。」が認められる。しかしながら「右貸金は、前敍の如く、陳節子が陳朝陽の名義をもつて、原告から借入れた事業資金の一部であること」は本件弁論の全趣旨に徴し疑がない。したがつて、本件貸金債権の債務者もまた前記陳節子であるというべきである。
しかるところ「本件貸金債権中(ハ)の債権が被告の本件差押当時履行期が到来し、その余の本件貸金債権はすべて履行期未到来であつたこと。」は当事者間に争がなく、「本件預金債権中(ロ)を除くその余の債権が右差押当時すべて履行期到来し、右(ロ)の債権のみ履行期が未到来であつたこと。」は弁論の全趣旨に照し明らかである。ところで、前掲甲第三第四号証、成立の真正につき当事者間に争のない同第二号証の二、郵便官署作成部分の成立につき当事者間に争がなく、その余の部分は前掲竹内証人の証言により成立の真正を認められる同第二号証の一および同証言を綜合すれば「原告と陳節子(但し、形式上は陳朝陽、以下同じ)間の前記金円貸付契約の内部には、次の特約、すなわち、原告は、債権保全のためには、原告の右節子(朝陽)に対する貸金債権および右節子(朝陽)の原告に対する預金債権の期限いかんにかゝわらず、いつにても両者を対等額において相殺することができる旨の約定があつて、右特約に基き、原告は、被告の前記差押後である昭和三二年八月二二日、陳節子(陳朝陽)に対し、本件貸金債権を自働債権として本件預金債権と対等額で相殺する旨の意思表示をなし、右意思表示は翌二三日右節子(朝陽)に到達したこと。」が認められる。そして「原告が、右二二日、被告(札幌国税局長)に対し、右の旨通知したところ、右通知は翌二三日被告に到達したこと。」は当事者間に争がない。
五、そこで、原告の右相殺の効力について判断する。
(1) 被告の前記仮定主張(1) について。
この点における法律上の見解は、当裁判所も原告の見解と全く同一である。したがつて、被告の主張はとるを得ない。(民法第四六八条第二項第五一一条。最高裁判所昭和二六年(オ)第三三六号事件の判決、判例集第六巻第五号第五一八頁参照)
(2) 被告の前記主張(2) について
「原告が、本件相殺をなすに当り、手形の交付または呈示を行わなかつたこと。」は当事者間に争がない。しかしながら、本件貸金債権中少くとも(イ)(ロ)(ハ)の債権は、前掲甲第六号証の一および二、前掲竹内証人の証言により成立の真正を認められる同第七号証、同証人の証言ならびに弁論の全趣旨を綜合すれば「原告が手形を担保として、前記節子に金円を貸与した結果生じた債権であつて、手形は単なる履行確保の手段にすぎないものであること。」が認められる。したがつて、右各債権は手形上の債権ではなく、消費貸借契約上の債権であること明らかであるから、相殺をなす場合には、手形の交付等を要しないものであるといわなければならない。
ところで、本件貸金債権中(ニ)(ホ)(ヘ)の債権については、これが手形上の債権であるか消費貸借契約上の債権であるかにつき問題があるが、これらの債権は、後述の如く、結局本件相殺に実質上は供せられなかつたものであるから、右の如何をもとにして、手形の交付の要否等を論ずることは実益がない。
それ故、被告の主張は採用しない。
(3) 被告の前記主張(3) について、
「原告が、本件相殺をなすに当り、本件貸金債権中どの債権をもつて、本件預金債権と相殺をなすか明らかにしなかつたこと。」は当事者間に争がない。しかしながら、さればとて、原告の本件相殺の意思表示が直ちに法律上無効となると解すべき理由はなく、本件の場合は「相手方である陳節子(陳朝陽)もまた、相殺の充当の意思表示をなさなかつたものであること。」弁論の全趣旨に徴し疑がないから、民法第五一二条、第四八九条の規定にしたがい、法定充当をなせば足るものというべきである。したがつて、本件貸金債権は、原告の右相殺の意思表示により、(ハ)(イ)(ロ)(ニ)(ヘ)(ホ)の順に本件預金債権と相殺せられて、両者の数額の相違のため、結局右(ニ)(ホ)(ヘ)の債権は、実質上相殺に供せられなかつたものといわなければならない。
それ故、被告の主張はとるを得ない。
(4) 被告の前記主張(4) について、
「原告の本件相殺の意思表示が、被告ではなく、訴外陳節子(陳朝陽)に対しなされたものであること。」は前記認定のとおりである。しかしながら、この点に関する法律上の見解は、当裁判所も原告の見解と全く同一であつて、被告の見解はとるを得ない。したがつて、被告の主張は採用しない。
(5) 被告の前記主張(5) について、
原告の本件貸金債権中(ニ)(ホ)(ヘ)の債権は、前敍の如く、結局、本件相殺は実質上は供せられなかつたものである。したがつて、被告の右主張の当否につきこれを論じても、原告の本件相殺の効力については、なんらの消長を来たさない。
それ故、右主張の判断は省略する。
してみれば、訴外陳節子の原告に対する本件預金債権は、原告の前記相殺の意思表示により、全額消滅したものというべきである。
六、ところで、「被告が本件預金債権の消滅を争い、原告に対しこれが取立を企てていること。」は被告の主張自体に照し疑いの余地がない。それ故、右債権の不存在確認を求める原告の本訴請求は正当である。
第二、反訴請求の当否、
前記の如く、陳節子の本件預金債権は、原告の前記相殺の意思表示により消滅した。したがつて、右債権の存在を前提として、これが代位取立を求むる被告の反訴請求は失当たるこというまでもない。
第三、結論
以上のとおりであるから、原告の本訴請求はこれを認容し、被告の反訴請求はこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 佐藤竹三郎 古川純一 片山邦宏)
別紙目録(一) 預金目録<省略>
別紙目録(二)
貸金目録
金額 日歩 利息 満期日
(イ) 六二〇、〇〇〇円 二銭五厘 二、〇一五円 昭和三十二年八月 九日
(ロ) 四五〇、〇〇〇円 四銭五厘 - 昭和三十二年八月三十一日
(ハ) 九一、三八一円 四銭五厘 七四四円 昭和三十二年八月 四日
計 一、一六一、三八一円 - 二、七五九円
手形割引債権
(ニ) 一五〇、〇〇〇円 四銭五厘 - 昭和三十二年八月三十一日
(ホ) 一五〇、〇〇〇円 四銭五厘 - 昭和三十二年十月 一日
(ヘ) 六九、三四〇円 四銭五厘 - 昭和三十二年九月 九日
計 三六九、三四〇円 - -
合計 一、五三〇、七二一円 二、七五九円
上記合計一、五三三、四八〇円